2010年10月01日

続き

続き
昨日の続きです。

もともと、「戸籍」の制度は明治5年に開始されましたが、できた当初は「死亡届出の義務」はなく、明治19年、「過料制度」ができて初めて届出がきちんとされるようになった経緯があります。

江戸時代の方々の戸籍が残っているのは、この「明治19年までに亡くなった方々」と思われています。

また、和歌山市が特に多いのは「和歌山大空襲」で家族の方々が一緒に亡くなられ、戸籍の変更ができていない等の事情も考えられるそうです。

昭和23年に新法ができてからは戸籍も比較的きちんと?管理されているようです。ちなみに、「平均寿命」は「戸籍」からではなく、「住民票」や「生活の根拠」等を確認してのことですので、実際の年齢と考えられています。


本日、議会は休会でしたが、「議会運営委員会」が開かれ終わるまでに半日以上、時間がかかりました。

今日が重要で、各会派で議案の確認がなされると共に、提案される「意見書」も前日の休会日に各種「調整」が行われます。明日も多くの多種多様な「提案」がなされる予定です。



Posted by atukikokoro at 00:13│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。