2011年11月19日

ベイカースフィールド50周年

和歌山市の姉妹都市、アメリカのベイカースフィールドから戻りました。

これまで姉妹都市を訪問したことはありませんでしたが、今回、50周年の節目の年に当たりましたので本市からも5年ぶりに市長、議会関係者数名でベイカースフィールド市と、ロサンゼルスで行われました南加和歌山県人会100周年記念式典に出席して参りました。

機中二泊の四泊七日の強行軍で、17時間の時差に終始、夜は数時間で目が覚める日々でした。ようやく慣れた頃に帰って参りましたので昼間に眠くなる等の時差ボケの感がありますが・・・うまく戻したいと思います。

ちなみにベイカースフィールドは関空から羽田、羽田からロサンゼルス、ロサンゼルスからバスで4時間程度です。人口32万人の都市でサンフランシスコとの間にあります。羽田からロサンゼルスは約10時間です。



写真は30周年記念の際に本市から送りました「御輿」。



この「甲冑」は最初に和歌山市からベイカースフィールドに送られた記念のものとか。これらはベイカースフィールド市役所の入口に展示されていました。



先ずはベイカースフィールド市役所で市長、並びに親善協会の方々と顔合わせと50周年の意見交換。



その後、議場にて。





夜、市長、親善協会の方々と一緒に懇親会、並びに今後の各種協力を確認して姉妹都市継続の署名。ベイカースフィールドとは現在、青少年の交流を中心に各種取り組みが行われている他、今回の震災に対しては多額のお見舞金も贈られています。

次の50年の間に日本も、世界も大きく変わり、世界との接点が再び、求められることでしょう。ベイカースフィールドはアメリカにおける和歌山市の玄関口。今後、よりいっそうの各種取り組みに磨きをかけて姉妹都市提携のメリットを活かす必要があります。これに関しては12月定例市議会で取り上げたいと思います。

ベイカースフィールドでは移民の方々も多く見受けられました。特に最近はメキシコ等からの移民が増えており、議会でも問題になっているとか。反対する方々は「仕事を取られる」。賛成の方々は「自分たちがしないきつい仕事をしてくれているのだから受け入れるべき」とのこと。日本でもいずれ移民受け入れの話が出てくるかもしれませんが・・・

ベイカースフィールドでの二日間の日程をこなしロサンゼルスに移動。




写真はロサンゼルスのホテルから。このホテルの会場で南加和歌山県人会の皆さんとの懇親会が行われました。今回は予定が前倒しに変更されることが多く、朝から夜まであまり余裕のない行程でした。



朝食。3キロ、体重が増えました・・・




南加和歌山県人会の100周年を記念して行われました今回の式典に県知事、県議会議員の方々もこの日から合流して懇親会が行われました。

100年前、和歌山からも多くの方々が移民し、多くの苦労の下で現地に根を張り、生活をして参りました。南加は南カリフォルニアを意味しています。



記念式典、並びに祝賀会会場。スピーチだけで約20名の方々が登壇されました。これまでの取り組みの報告がなされた中で特に第二次世界大戦の最中に日系人の方々が数年に渡り強制収容所で生活されたお話がありました。夢と希望を持って渡った異国の地での収容所生活のお話に胸が痛くなりました。

今の日本で、「移民」という選択ができる方々がどれだけいるのか・・・知らない異国の地での苦労は私には表現できませんが、100年、その姿、言葉から偲ばれるものがありました・・・



写真は日本の国旗とアメリカの国旗掲揚に対して。この式典に参加後、その日の夜に和歌山市の関係者は日本に向けて帰国の途につきました。

私にとっての初の訪米は多くのことを学ばせて頂きました。




午前11時頃、和歌山市に戻り、午後3時から行われました連合和歌山の定期大会に日中友好協会から出席。終了後は会議、打ち合わせ等をこなしながら介護の相談等、各種案件の対応をしながら休憩やお茶のお稽古も入れスイッチ切り替えてまた本日から頑張ります!!
  


Posted by atukikokoro at 07:33Comments(0)